レッスン

MTG:人前で話すことテキスト

こんにちは。エリック・アリフ(Erik Aliff)です。ジャッジアカデミーで、人前で話すことについての講師を務めます。

このモジュールを本腰を据えて学習する前に注意を。このモジュールを聞けば人前で話す恐怖から免れると考えているなら、悪いお知らせがあります。人前で話すときの緊張や吐き気や今にも死んじゃいそうな感じが、このモジュールを聞けば無くなるとお思いなら……悪いお知らせがあります。その予定は、このモジュールにはありません。その最たる理由は、私だって、あなたが見てきた話し上手な人だって、同じ半信半疑で恐い気持ちを、依然として感じているからです。私だって、人前で話すときにはヘンテコで不器用な言葉を口にしているし、それでもやっていかねばならないのです。

大学を出たばかり、初めての授業の日が、絶対に忘れられません。教室を準備して、教材を用意して、できるかぎり心も整えました。備えは済んだと思いました。しかし、授業が始まると、私がしていたのは準備ばかりだったと気づいたのです……準備したものを、実際にやってみなければならなかったのです。プレゼンテーションの選択科目を私は受け持っていました。初回説明で、授業中のプレゼンテーションの課題をどう評価するか話そうとしていました。心の中では、「プレゼンテーションの内容も評価の対象です(I will be grading you on the body of your speech)」という言葉で、評価項目を説明しようとしていました。しかし、どういうわけか、途中で口が止まってしまったのです。「評価の対象はあなたの体です(I will be grading you on the body)」という言葉を、ホワイトボードに板書しながら口にしていました。怖かったです、教室中から笑われて、もうおしまいになるんじゃないかと。教師としての信頼をぜんぶ失って、生徒とうまくやりとりすることが、もう出来なくなるんじゃないかと。

ありがたいことに、私の体感では長くて怖かった時間も、生徒たちにとってはそうではありませんでした。息を吸って、(付け加えるなら、すごく素早く)言葉を継ぎました。十年間の教職のなかで、他にも間違いはたくさんしてきました。マイク越しにマジック・プレイヤーに話したときや、カンファレンスでジャッジ仲間と話したときなんかも、おかしな間違いをたくさんしました。それでも私は人前で話し続けています。そして今回、願わくば、話し始めること、話し続けることの助けとなるように、おおよそ人前で話すこととはなんであるかを学習していきたいと思います。

私が人前でうまく話し続けられたのは、人前で話すことの基礎となるパーツがわかっていたおかげです。人前で話すことが怖いしよくわからないという人は少なくないです。怖さとわからなさが組み合わさると、参らさられます。今回行いたいのは、人前で話すことを構成する7つの要素を学習し、次に人前で話すときのために思考の枠組みを与えることです。この思考の枠組みは、怖さ全部を解消するわけではないですが、怖さをコントロールして管理するのには役立ちます。

このモジュールを通して、人前で話すこと(実際にはあらゆるコミュニケーション)を主要な要素に分解し、視覚的なモデルを構築しましょう。この要素のいくつかは当たり前のものでしょう。のこりは、今はなじみの薄いでしょうが、説明を受ければよく分かるはずです。それぞれの要素を吟味することで、うまく扱えるようになるはずです。さて、一つ目の要素から始めましょう。それは話し手、あなた自身です。

話し手としての自分を考えるとき、声や言葉に気が行きがちです。声や言葉も人前で話すときに大事ですが、あなたが思っているほどではありません。あなたの話し手としての有効性を他者が評価するということになると、実際には声や言葉以外のことがもっと問題になります。どのようなところから、見た目だけで緊張が伝わるでしょうか。視線、姿勢、呼吸、言っていることを補う手ぶりなどです。人前で話すのを一番効率よく上達させるのは(同時に一番しんどいのは)、練習することです……鏡の前で練習したり、録画して自分が話しているのを見返すことです。しんどいのはわかっています! それでも、練習することで深くわかることがあります。何を口にしているかと同様に、発話行為の周囲にあるあらゆることが、あなたが言葉で伝えたかった内容を補強しているのです。人前で話す人に私がかなりおすすめしているのは、呼吸を遅くすることです。緊張すると、無意識に呼吸が速くなります。体はそうして、来るだろうストレスをどうにかしようと備えるのです。これが負の連鎖を作ることがあります。体がストレスに備えたことに自分でも気づき、それがさらにストレスとなって、体のストレスへの準備が強化されるのです。この連鎖を断ち切るには意識が必要です。呼吸の仕方を変えることは、その優れた方法となりえます。

呼吸の調整は、緊張に気づくのにも対処するのにも良い方法です。人前で話すとき、みんな緊張するでしょう。今でも、私は人前で話すとき緊張します。ただ、目標は緊張をなくすることではなくて、緊張に気づき、制御することなのです。海で、波に止まるように命令できないでしょう(波に命令しても、波は何もしてくれないという意味です)。それでも、波乗りの仕方をおぼえたり、波が来るのに備えたり、予想外に高かった波への対処法をおぼえたりはできます。息を吸ってゆっくりになることを勧める理由はまだあります。人は、自分がそうしようと思っているのよりも速く話そうとしています。

人前で話すことの次の要素に移りましょう。私が議論したい人前で話すことの要素は、一つは話し手で、もう一つは次の要素、聞き手です。話し手と聞き手は関係性を持ち、その関係性は、人前で話すことについて考えるときに考慮に入れる必要があります。「(任意のシチュエーション)で、聞き手と関係など持っていない。知り合いですらないのに!」と、思われるかもしれません。ですが……それこそ関係なのです。この関係性に親密さはないでしょうが、話し手と聞き手が相互作用しているという事実が、話し手と聞き手にある種の関係性があることを意味するのです。多くの場合、ジャッジをしているという文脈下での関係性とは、ジャッジとプレイヤーでしょう。ジャッジとプレイヤーの関係性は、どのように見えるでしょうか。そこには力関係があります。ジャッジとしてのあなたは、権威の権化として見られます。権威の権化として見られることは、あなたからのコミュニケーションを聞き手がどう捉えるかに影響を与えます。ジャッジとプレイヤーはまた、互いに関心があります。ジャッジと、ジャッジが話しているプレイヤーには、マジック:ザ・ギャザリングという同じ趣味/興味があります。

話し手と聞き手の間にある関係を、誤解をしたり、適切に配慮することを怠ったりすると、何が起きるのでしょうか。まず、この関係に正しい配慮をしないやり方で立ち振る舞ったり話したりすることで、聞き手を混乱させえます。例えば、ジャッジとプレイヤーの関係では、ジャッジのプロ意識とワザをプレイヤーは期待しています。これを考慮せずに話してしまうと、聞き手を混乱させるかもしれいないし、何を言っているかを理解するために聞き手に負担がかかることになります。対照的に、近しい友人や家族にまで常に高度に専門的だったり鯱張ったりした話し方をしていると、同様に不快で、メッセージから気をそらさせてしまうことになります。どのような方法が話し手と聞き手の関係性を考慮に入れたやり方かを見極め、その方法でコミュニケートすることは、人前で(または私生活で)うまく話すためには不可欠です。

考慮に入れなければならない事柄の一つは、聞き手が何をしたいかです。つまりは、聞き手が優先していることと不可能なことを推し量ることです。話し手が人前で話す段になったとき、聞き手は、その状況で何が起きるのかについて、ある種の期待を持ちます。例えば、大会でジャッジを呼ばれてそこに行ったとき、質問や懸念が正確に手際よく解決されるものだと聞き手は期待しています。もしその期待を裏切ったり読みたがえたりすると、話し手のメッセージがうまく聞き手に受け取られなかったり、再び同じシチュエーションになったときに真剣に聞いてくれなくなったりするでしょう。それは、話し手は常に聞き手の要求に応えるべしというわけでも、聞き手がつねに自分のしてもらいたいことをしっかりと把握しているというわけでもありません。聞き手は(話し手もです)経験の広さや特定の分野についての知識に限界があります。例えば、受講者はきっとこの「人前で話すこと」のモジュールの全容を知らないまま、このモジュールを選んだでしょう。このモジュールがあなたの興味(おそらく、人前で話す技術を向上させることへの興味)に関連していて、あなたが今まで持っていたよりも詳細な解答と内容を私が提供すると信じることに、あなたはしたのです。同様に、その特定の人前で話す状況で何を聞き手が期待しているかを考慮しましょう。聞き手が状況次第で不可能なことも考慮しましょう。うまく考慮できれば、聞き手とどうコミュニケートすればよいかについて、より肌理細やかに理解できるはずです。

そして、人前で話すことの三つ目のパーツです。話し手と聞き手がいて、人前で話す過程でのそれぞれの役割を理解したところで、今度は話し手のメッセージについて考えましょう。聞き手に伝えようとしていることは何でしょうか。その考えを最も基本的な要素にまで落とし込みましょう。基本的な要素に落とし込むことができるほど、コミュニケーションに集中できるようになります。伝えたい内容に関して言えば、前もって何を言いたいかを計画していないと、伝えたい内容の一番大事な要素がわからなくなったり、そこから脱線したりして、かなり問題になります。何を言おうとしているのかを一言一句書く必要があるという意味ではありません。時にはその水準で準備することが適切なこともありますが、ふつうは要りません。ただし、話の要点をまとめたものや、話題を網羅した箇条書きは、「全部覚えただろうか」という懸念を取り払うのに役立ちます。そのような懸念は話すことの不安をつのらさせるものです。

メッセージを前もって準備することに加えて、メッセージが頭の中で整理されているか確かめる必要があります。メッセージすべてが同じ方法で整理されるべきというわけではわりませんが、それでも、ジャッジのコミュニケーションに使用されることの高い整理方法の適用範囲は、最重要なことから些末なことまで(または、取るに足らないことから決定的なことまで)(または単純明快なことから複雑なことまで)に及びます。あなたの整理方法がどのようなものであれ、一つは持ちましょう! その整理方法が特定の状況下でなぜ有効なのかを考えましょう。

メッセージについて考慮すべき最後の要素は、その時間面、とりわけ伝える時間の長さです。話すのにどれだけ尺があるでしょうか。どれだけ長く話し手が話すと、聞き手は思っているでしょうか。想定された時間制限を超過したり、それよりも短すぎたりすると、どうなるでしょうか。いい例は、大会の開始アナウンスです。プレリリースであれ、GPであれ、PTQであれ。あなたは話し手として、メッセージを伝えるためにかなり限られた時間しかありません。何故でしょうか。プレイヤーたちは(おおかた)、そのようなアナウンスを以前に聞いたことがあります。プレイヤーたちは早くマジックをしたくてじりじりしています。開始アナウンスが聞き取りづらいこともあります。理由は何であれ、あなたのアナウンスが時間制限を超えると、メッセージがいかに重要でも、うまく伝わりません。

さて、人前で話すときの話し手の役割と、聞き手の役割と、伝えようとしているメッセージについて理解しました。さあ、もう一つの要素に取り掛かりましょう。どのチャンネルを使うかです。チャンネルという言葉で意味したいのは、コミュニケーションをするのにどのような意思疎通の手段を使うかです。声を録音したり、聞き手の目の前ではなしたり、電子メールや文字のメッセージを送たり、電話やDiscordで話したり、ほかの手段を使ったり。ここで、なぜ、どのチャンネルを使うかが問題になるのでしょうか。使用候補のどのチャンネルも長所と短所があり、どのチャンネルがもっとも適切かを判断するのにそこを評価しなければなりません。例えば、大会の前に仲間と連絡するのに電子メールを使えば、言いたいことそのままを書き出すことが出来ます。自分が言いたいことを網羅したのを確かめる手段として、電子メールに書き出すことが本当に好きな人もいるでしょう。欠点は、面と向かって話すのと比べて、電子メールは冷たい感じがすることです。つぶさに書かれた電子メールは、書き手が望む水準で熟読されるのではなく、むしろ拾い読みされることもありえます。対照的に、(電子メールを使わずに)仲間と直接話す(だけでは)、仲間に負担をかけるかもしれません。仲間は当日のためにすでに自分の仕事を考えているかもしれないし、当日まで情報を得られないことにやきもきしているかもしれないからです。完璧なチャンネルはありませんが、多少理想的なチャネルはあります。先述の人前で話すことの要素や、これから議論する要素次第です。

コミュニケーションの5つ目の要素は、ジャッジにとっては聴きなれた名前ですが、ジャッジの枠組みで使うのとは別のやり方で、ここでは使っていきます。ジャッジ・コールのあとや大会のあとでよくフィードバック(意見)がありますが、ここでは、聞き手と相互作用を始めるとリスナーから返ってくるフィードバック(反応)について話します。最近、自分が聞き手だったときのことを思い返してください発話者が話している間、どのようなフィードバックを返しましたか。前かがみに座る? ソーシャル・メディアのコンテンツを見てばかりいた? あくびをした? 呆れたような顔をした? 視線を目に合わせた? 人前で話すときに、聞き手からは圧倒的な量のフィードバックを返されます。聞き手からもたらされるあらゆるフィードバックを、いかに効果的に処理し活用するかが、とりわけ、聞き手が大勢の時にどうするかは、発話者が取り組む最大の長期課題です。

それでは、そういったフィードバックに何をすればよいのでしょうか。フィードバックがどういったものか次第です。あなたの話していることに集中していますか? そればならば、そのまま続けましょう。首尾よく進んでいます、喜びましょう。うぬぼれないように。いいでしょうか。聞き手が否定的なフィードバックを返しているときはどうしましょう。そればならば、話す内容を変えるときでしょう。特定の話題を長く話しすぎているのかもしれません。聞き手はその話題をもう理解しているのかもしれません。あなたの話していることに反対意見があるのかもしれません(例えば……失格の説明や裁定への異論など)。立ち戻って、今話したことの背景となる理由付けや論理を説明しなおすべきかもしれません。つまらなそうにしてたり、とまどったりしたフィードバックが聞き手からあるときはどうでしょう。それならば、別の調整がなされるべきかもしれません。付け加えたかった描写や小話を跳ばすときかもしれません。別の言葉で説明しなおすときかもしれません(同じ事柄を同じ言葉を使って説明するのは、ここでは最善ではないでしょう)。共通したコツは、聞き手に向かって話すとき、聞き手を考慮に入れるべきだということです。マイクや壁ばかり見ないように。聞き手を見るのです。聞き手はたくさんフィードバックをくれます。そのフィードバックを活用しましょう!

人前で話すことの要素は残り二つで、もうそろそろこのモデルも完成です。ただ、6つ目の要素は、ほかの要素たちの動きに不調和をきたさせるものです。そしてもしこのパーツに気づかなければ、良く練った計画がどうして思ったようにいかないのかわからなくなるでしょう。妨害は、スポーツや技術によくかかわる言葉ですが(パス妨害、信号妨害)、コミュニケーションでも主要な要素です。私が話している間、きっとあなたは心の中で妨害の具体例を思い浮かべようとしたでしょう。きっと即座に物理できな妨害が思いついたはずです。たとえば、話しているときに、誰かがあなたと聞き手の間を歩いて行ったりとか。もしくは、話しているときに、部屋のすぐ外や建物の中でうるさい工事が始まったりとか。または、AV機器の不調や、電気がチカチカしたり暗くなったり、停電したりとか。これらはすべて、あなたがメッセージをうまく伝える能力を阻害しうる物理的な妨害の例です。

しかし、物理的な妨害だけが、話し手が直面する妨害ではありません。物理的な妨害は、ふつう、一番目に見えてわかりやすい妨害です。部屋の全員が何が起こったのか見ようと顔を動かすのを、話し手が目にするような妨害です。メッセージが妨害されたのが、わかります。ただし、異なる類の妨害もあるのです! 精神や情緒や人間関係がかかわる妨害は、物理的な妨害のようには目に見えませんが、しかし同等(かそれ以上)に、効率的なコミュニケーションを阻害します。精神的な妨害はどのように見えるでしょうか。別の問題や状況に気をとられている場合(例えば、ジャッジが裁定やカードの相互作用を説明しているのに依然としてプレイヤーがゲームの筋立てを考えている、など)、その人が話し手を見て、うなずきすらしているのに、話し手が意図したメッセージが十分に受け取られていないこともあり得ます。情緒的/人間関係的な妨害は、話し手が話していることと関係がないゆえに、気づくのが非常に困難になりえます。例えば、最近参加したマジック・フェストでは、シフトの前にドラフトをしようと決めました。参加者8名がテーブルにつき、ドラフトの基本的な説明を受けました。ジャッジがいなくなったあと、プレイヤーの1人がいいました。「あの、すみません、ちょっと遅れてしまって。叔父が亡くなってしまって」。私たちはご愁傷さまですとは言いましたが、そのプレイヤーはドラフトとそれに続く試合の方に気が行っていました。ジャッジが話したことを、その人はどれだけ聞いていたでしょうか。そんなに聞いていなかったと私は思います。

それでは、妨害に対しては何を施せばよいのでしょう。答えは、「そのとき次第」です。妨害は、明らかで不快でも、すぐ終わりそうではありませんか。そうなら、立ち止まって過ぎ去るのを待つのを勧めます。本戦ではないイベントにアナウンスをしているときに、誰かがマイクを使ったなら、私は話を止めてスピーカーを指さして、にっこりします。参加者たちはすぐに、私がしていることを理解してくれます。マイク・アナウンスが終わったら、私は普通、他には何もせず、話を再開して、私の分の告知も終わらせます。

他のタイプの妨害は、より困難になりえます。なぜなら、正確に評価する必要や最良の方法で介入する必要がある状況を、あなたが把握しきっていない場合があるからです。気が散っている(集中が妨害されている)ように見える人に視線を合わせるだけで、話し手に注意を引き戻すのに足ることもあります。大勢に対するときには、視線を合わせることはいつもできるわけでも実践的でもないでしょう。対大勢の場合、できる限りわかりやすく情報を示すことが、妨害に対抗し、あなたの情報に注意を向けさせるための、たった1つの方法であることもありえます。少人数の前で話した場合であれば、状況と関係性次第で、話をした直後に懸念に対処することが妥当であることもあります。たとえば、チームのジャッジの一人が、1日の始まりのミーティングにひどく注意散漫だったり、落胆しているように見えたとしましょう。1日の初めにそのジャッジと個人的に話をするほうが、どうして期待してたよりもそのジャッジが活躍できないのかを悩んで終始ウジウジするより、よっぽど好ましいです。

人前で話すことの最後の要素は、これまで話してきたどの要素とも趣を異にするとともに、それらを総括するものです。人前で話すときに直面する、文脈や環境は、その人前で話す状況ごとの、固有の要素です。どうだったでしょうか、チームのミーティングは、そのメンバーは、今いる町は、今いる建物は、今日のこの日は、この朝は。そこから思いつきます。そして、視点を変えれば、聞き手が文脈や環境をどうとらえているかも考えられます。聞き手が気にするだろう文脈的な要素は何でしょうか。対戦の結果? 大会の後の友達との予定? ラウンドが始まる前に受け取った文書? 天候? 影響を与えうるものすべてを気に留めるのは無理筋なので、はじめてこれを聞いて、物怖じする人もいるでしょう。なので、人前で話す状況のすべての要素に配慮するように、とは言いません。言いたいのは、聞き手を理解しようとするときにはそういったことを考えよう、ということです。その人前で話す機会の行く末に一番影響を与えそうな文脈的要素は何でしょうか。今の自分の生活で、コミュニケーションに影響しそうな文脈的要素は何でしょうか。それらについてできることはあるでしょうか。これらの問いを立てることを実践するほど、 より的を絞った正確な意思疎通ができるようになります。

人前で話すことは、尻込みさせるもの(だし、きっと尻込みする)でしょう。それでも、マジックのときと同じで、ルール/法則を理解すれば展開がよくわかるようになります。そして、そのルール/法則や構成を理解したときには、より高い水準での成功を達成するために獲得した、そういった方法論や情報を、もっとうまく活用できます。人前で話すことを謎のままにするのはやめましょう。怖そうに見えても、怖さと同時に楽しさを味わうために、人前で話すことに取り掛かることもできるのです。